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筋肉痛が自分を救っていた

kage

2014/05/25 (Sun)

20140524a1.jpg

今週後半のトレーニングは,

少しバタバタしていたのもあり,

OFF,ちょいトレ,ちょいトレ,胸トレといった風なものでした。

僕は元々,超ネガティブな人間だったので,

筋トレをしない日が続くと「自分の取り柄がなくなってしまう…」と,

前向きな気持ちが落ちていく傾向にあります。

(※こうして焦るのは良くありません。)

1週間トレーニングできない日、というのはここ1年では無かった話(恐らく)ですが,

トレーニングが1週間続かなければ,それが境に後ろ向きな気持ちになり始めます。汗




このことからも,

「 あ、僕はトレーニングしていることで自分を救っていたんだ 」と,

思えるようになってきました。

ところが,最近トレーニングOFFが頻度に続いていて,


「 うむ、このままではマズイのではないか?

時間詰めてでも,ちょいトレでもやっておくか! 」


と,トレーニングに励んでいたのですが,

トレーニングをしているハズなのにもかかわらず,

その結果に満足いかず,結局は不完全燃焼に付け加え,

気持ちがいつもより前へは向いてくれませんでした。


■ 筋肉痛が自分を救っていた




------

--------------満足がいかなかった。


トレーニングをしても" 最低限満足いく刺激 "に達しないと自分の体は満足しないらしい。

長年自分と付き合っているのに,

真剣に自分の気持ちなんて考えたことが無かったのだ。


てっきり自分は,トレーニングによって自分を支えているものだとばかり思っていた。

しかし,それは違った。

" 満足いった日 "のことを満足によって忘れさり,

自分に向けて" 満足していた理由 "を問いかけもしなかった。


やはり,自分は" トレーニングするだけ "ということで満足しないらしい。

" 最低限の刺激 "というのが重要らしい。

そう自分が言っている。


つい昨日のことだ。

少しバタバタしたこともあり,後ろ向きだった自分は想像したのだ。

" 2時間後に満足している自分 "というのを。

ひらすら想像した。

そこには体全体がトレーニングによって痛めつけられた後の自分。

腕を動かすとなんともダル~イ感じを喜んでいる自分。

仕事をしながらも,速くも現れる筋肉痛の予兆を感じている自分がそこにいた。

" 刺激の残影 "を背負い、それを浸っている自分がそこにいた。



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---------------

----------------------




" 羨ましい "



これに、尽きた。

なぜに想像の先にいる自分は,あんなにも" ダメージ "を喜んでいるのだろう?


ドMなんだろうか?


いや、それとはまた違う。

" 痛み "が自分を成長させてくれるのを知っているからこそ喜んでいる。

痛みをかみしめ,ダメージを堪能し「 成長できる 」と確信のようなものを得ている。

筋肉痛の予兆,筋疲労が「 また成長できるな 」と,自分を安心させてくれていたのだ。


なんと分かりやすいのだろう。


体は素直にも本能に対して,まっすぐに表情を出していた。



しかし、筋肉を成長させること以外ではそれに気づかない。

人はいつだって失敗を恐れるし、悲しいことを避けるのだ。

それらは" 痛み "。

人は痛みを嫌う。本能的に嫌うのだ。


そこにもう一歩前進するための大きなヒントが隠されていることに気付かない。

痛みは全て同類であると言っても過言ではないと思う。

筋肉痛に喜んでいる自分が誇らしげにそう言っている。

悲しみですら全て受け入れ,全力で悲しみ,

それを前進するための起爆剤にしろと言っている。



- SR -


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